2005年 11月 15日
門脇篤「とがみ中の白馬と椅子」 |
「とがびプロジェクト」参加作家の最後として、私門脇の出展作を紹介させていただきます。
私は今年、ふたつの「作品」を出展しました。ひとつは「とがびプロジェクト」が中学校のイベントにとどまらず、外へと広がる最初のきっかけとなった長野県信濃美術館・東山魁夷館にゆかりの作家・東山魁夷の作品「コンコルド広場の椅子」と白馬シリーズをモチーフにした「とがみ中の白馬と椅子」です。
昨年、「とがびプロジェクト」がはじめて戸倉上山田中学校でスタートするにあたり、生徒たちは長野県信濃美術館の松本猛館長(腕利きの美術館長としてだけでなく、いわさきちひろのご子息としても有名)のもとへ、館が収蔵する東山魁夷作品を貸し出してほしいと直談判に訪れたといいます。ここに「とがびプロジェクト」の眼目があります。それは単なるアートの制作や鑑賞にとどまらず、アートをきっかけとした社会との交流、アートを糸口とした社会への自己表現の場を生徒に対してつくっていこうという中平先生の強い意志と明確な意図です。生徒たちは松本館長から出された数々の条件を自らでクリアーし、最後には「とがびプロジェクト」での東山作品の展示へとこぎつけました。
ところでなぜ横浜に生まれ、神戸に育った東山魁夷の作品が長野県にあるかといえば、そこが画伯が画学生時代からスケッチに訪れ、風景画家として開眼するのに大きな影響を与えた地であり、またご子息のいない画伯がその死後も作品を安心して保管してもらえるところをという望みを受けて、長野県信濃美術館が東山魁夷館を併設するに至ったといいます。このため同館には画伯晩年の傑作の多くが寄贈され、作品が散逸することなく、常時鑑賞することができるわけです。
私はそうした寄贈作品の中で、唐招提寺の障壁画を制作する合い間に描かれた小さな詩画集「コンコルド広場の椅子」に注目しました。パリの有名な観光地のひとつであるコンコルド広場の椅子たちが語るさまざまなエピソード、そして夢。私は戸倉上山田中学の椅子も同じように語り、夢を見ることを想像しました。
中庭につるした椅子は、制作を手伝ってくれた「キッズ学芸員」たちの椅子です。また、渡り廊下にさげた紙製の椅子は、最終日には風船をつけ、中庭から生徒たちといっしょに空へと飛ばしました。コンコルド広場の椅子たちが夢でみたように。
私は今年、ふたつの「作品」を出展しました。ひとつは「とがびプロジェクト」が中学校のイベントにとどまらず、外へと広がる最初のきっかけとなった長野県信濃美術館・東山魁夷館にゆかりの作家・東山魁夷の作品「コンコルド広場の椅子」と白馬シリーズをモチーフにした「とがみ中の白馬と椅子」です。
昨年、「とがびプロジェクト」がはじめて戸倉上山田中学校でスタートするにあたり、生徒たちは長野県信濃美術館の松本猛館長(腕利きの美術館長としてだけでなく、いわさきちひろのご子息としても有名)のもとへ、館が収蔵する東山魁夷作品を貸し出してほしいと直談判に訪れたといいます。ここに「とがびプロジェクト」の眼目があります。それは単なるアートの制作や鑑賞にとどまらず、アートをきっかけとした社会との交流、アートを糸口とした社会への自己表現の場を生徒に対してつくっていこうという中平先生の強い意志と明確な意図です。生徒たちは松本館長から出された数々の条件を自らでクリアーし、最後には「とがびプロジェクト」での東山作品の展示へとこぎつけました。
ところでなぜ横浜に生まれ、神戸に育った東山魁夷の作品が長野県にあるかといえば、そこが画伯が画学生時代からスケッチに訪れ、風景画家として開眼するのに大きな影響を与えた地であり、またご子息のいない画伯がその死後も作品を安心して保管してもらえるところをという望みを受けて、長野県信濃美術館が東山魁夷館を併設するに至ったといいます。このため同館には画伯晩年の傑作の多くが寄贈され、作品が散逸することなく、常時鑑賞することができるわけです。
私はそうした寄贈作品の中で、唐招提寺の障壁画を制作する合い間に描かれた小さな詩画集「コンコルド広場の椅子」に注目しました。パリの有名な観光地のひとつであるコンコルド広場の椅子たちが語るさまざまなエピソード、そして夢。私は戸倉上山田中学の椅子も同じように語り、夢を見ることを想像しました。
中庭につるした椅子は、制作を手伝ってくれた「キッズ学芸員」たちの椅子です。また、渡り廊下にさげた紙製の椅子は、最終日には風船をつけ、中庭から生徒たちといっしょに空へと飛ばしました。コンコルド広場の椅子たちが夢でみたように。
by togabi
| 2005-11-15 00:15
| とがびプロジェクト参加作家